
 |
第12部 |
|
 |
(3)汚染者負担の原則 応急措置の県債、恒常化
一九七八(昭和五十三)年に始まった県債発行方式によるチッソ支援。八四年七月の衆院環境委員会で、自治省財政局の横田光雄調整室長はこう答弁している。
「県債発行方式によれば、チッソに資金を貸し付け、企業経営の安定向上を図ることにより将来その返還を可能ならしめることと、あわせまして国において十分の措置を講ずるよう配慮することとされた。こういうことから、緊急避難的にやむを得ないもの、このように考えたわけでございます」
緊急避難として、三年間の予定で始まったはずの県債発行。しかし、それはチッソの経営が好転しないまま何度も更新され、恒常化した。
単なる更新だけではない。八二年度には、経常利益の半分を補償金の支払いから解放し、内部留保を認めるように制度を変更。九三年度には、それまでチッソが認定患者に払った補償金の総額と県債発行総額との差額約百六億円を県が県債発行によって資金調達し、チッソに貸し付けるという臨時特別金融支援措置を実施した。これにより、県債発行開始以降の補償金は、結局すべて県からの融資で賄われる形となった。九四、九七年度の二回、公的債務の低利借り換えも実施した。
さらに、基金を経由した融資も始まる。国の補助を受け、基本財産三十億円で九四年度に設立された「水俣・芦北地域振興基金」は、設備県債と呼ばれる新たな県債を発行。チッソに五年間で百億円の設備投資資金を貸し付けた。患者補償だけでなく地域振興という大義名分までも、チッソの経営を支援する口実として使われた。
東京で金融コンサルタント会社を営む岩崎日出俊氏(53)はかつて、チッソの主力銀行だった日本興業銀行に勤務。九二年から五年間、チッソを担当した。当時を振り返る。
「本来なら倒産して当たり前の会社。返ってこないことが分かっているのに融資を続けるのは、株主のことを考えれば簡単ではなかった。それでも支援に応じたのは、苦しんでいる患者さんたちがいる以上、銀行としての社会的責任があったからだ」
今年一月、「チッソ支援の政策学」という本が出版された。著者は、熊本県職員の永松俊雄氏(51)。チッソ支援に直接かかわった経験があり、職務の傍ら熊本大大学院で公共政策学を学んで博士号を取得した。
永松氏は「県債発行方式によるチッソ支援は、臨時特別金融支援措置の前後で二つの時期に分けられる」と指摘する。前期は「患者補償の完遂」のみが目的だった時期。それに対し、後期はチッソの経営危機が深刻化し、補償金の支払いに加えて「経営基盤強化」も目的とせざるを得なくなったという分析だ。
「汚染者負担の原則(PPP)を堅持するために緊急避難として始まった県債方式は、必要最小限の支援にとどめようとしたが故に、当面の応急処置の繰り返しになった。いつまでにチッソが自力で被害補償ができるようにするかというタイムスケジュールさえ存在しなかった」と永松氏。岩崎氏も「いずれ立ちいかなくなることは明白だった。先送りではだめだと分かっていたのだが…」と振り返る。
無理を重ねた県債方式は、ついに破たん。二〇〇〇年、「抜本支援策」というさらなる先送り策がひねり出され、被害者より先に加害企業を生き残らせる生命維持装置としての性格を強めていく。(久間孝志)
熊本日日新聞2007年5月4日朝刊
|
|